201105

国内観測史上最大と言われる「東日本大震災」被災地で警備支援活動。

国内観測史上最大と言われる「東日本大震災」の警備支援活動の依頼を受け被災地で活動しました。


ヤマダ電機 仙台各店の支援活動


我々は、3月15日9時にヤマダ電機大和店に派遣隊全員が集合、車両に支援物資等を積込み、訓示を受け2台の車両に分乗して中央管財㈱会長・オールジャパンサービス㈱高木社長等が見送る中、先発隊が待つ仙台市に向けて出発しました。

当日の仙台までの行程ですが、震災直後ということもあり東北道が不通だったため新潟経由で仙台に向かいました。当時高速道路は、関東から新潟と山形の県境荒川丹内ICまでしか通行出来ず、荒川丹内インターで降り迂回し山道の国道を回って仙台市内に向かいました。

途中、山形県内の峠道に出たところで雪が激しく降り出し走行不可能と判断しチェーンを着装し山道を走行仙台市内に到着したのは、大和市を出発してから約15時間後の夜11時を回っていました。

市内到着時は、停電で市内全体が真っ暗闇で、初めての経験で緊張し当時は不気味に感じました。


翌朝まで各車両内で仮眠待機となりました。滞在中は毎日ガソリン不足の中エアコンを控え寒く余震が頻繁に発生していたため熟睡出来なかった記憶があります。一夜明けると、市内至るところで、電柱はすべて倒れ架線が垂れ下がり倒壊した建物、道路は歪み亀裂がいたるところに走っている惨状を目の当りにしテレビ新聞等で見聞していた以上で度肝を抜かれた光景は今でも鮮明に残っております。

我々3人は、本隊と共に仙台市内のヤマダ電機3店舗破壊状況の確認及び現地警備会社支援のため泉本店を出発し仙台南店、仙台東店、多賀城店に行きましたが、いずれの店舗も壁が剥がれ天井は落ち出入口が壊れて内部の商品は散乱している情況で、特に多賀城店は地震・津波被害が甚大で現地に着いた時には驚きました!

ここに店舗があったのが嘘のように建物の原型をまったくとどめておらず、隣接している大型商業施設においては夜間に盗難が多発している模様で多数の警備員が巡回している状態を見て、驚きました。また、周囲を見渡すと何百台という車と倒壊した建物の残骸が四方八方に散乱している状況でした。


全国警備業協会からの要請で神奈川県警備業協会の一員として宮城県塩釜市に派遣された。

「東日本大震災の被害地における防犯パトロール及び防犯広報活動を実施し住民の生活の安全を確保することによる復興を目的」として総員18名(先発隊 2名、4/3~4/6、本隊 16名、4/5~4/11)の一員として活動しました。

4月4日藤野研修センターに全員集合。神奈川県警備業協会部隊編成(第一分隊5名、第二分隊4名、第三分隊5名、)発足式を経て、指示事項と教養等の教育を受ける。

4月5日車両点検、物資補給を完了。大型バスに乗車し東北道で宮城県塩釜警察署管内七ケ浜町警備本部に到着。

4月6日~9日 8時から、宮城県宮城郡七ヶ町遠山地区を8つのエリアに分け、3分隊にてパトロール開始。

08~18 徒歩によるパトロール、18~22までは車両によるパトロール

・第一分隊が浜辺地区をパトロール中、コンテナよりタイヤ積込み中の車両を発見、相手は凶器所持(鉄パイプ)を確認したため、警備本部を通じ警察に通報、警察官到着後警察官に引継ぐ。

・第二分隊が七ヶ浜沿岸地区をパトロール中、倒壊現場で不審者発見(岩手ナンバー軽車両)追跡するが見失う。物色した形跡があり、本部の指示により機動班を結成し周辺警戒の強化を図る。

・余震が発生、津波警戒警報が発せられ、遠山境山コミニティセンター避難所に住民、車両誘導業務を行う。

*食糧調達、仙台市街地調査活動(慢性的な交通渋滞、停電により信号機ほとんど不能状態)

4月11日宮城県警備業協会長から、神警協本隊に対しお礼の挨拶等があり現地警備本部を出発。

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